9. 3 『恋空』:関東ロケ地の秘密

  1. タイトルと公開日の秘密
  2. 九州ロケ地の秘密
  3. 関東ロケ地の秘密
  4. 役名の秘密
  5. 恋空ソング(準備中)

九州で『恋空』のロケが行われた、行橋市、宇佐市、大分市は、神風特攻と関係の深い場所だった事がわかりました。それでは、関東のロケ地はどうか見ていきます。

美嘉とヒロの約束の花壇(栃木県鹿沼市)

美嘉とヒロの約束の花壇のは、栃木県鹿沼市の千手山公園にあります。地元の方が花壇の手入れをして下さっているので、『恋空』ファンの聖地になっています。

鹿沼市の千手山公園で撮影された、美嘉とヒロの約束の花壇

鹿沼では他に、レストランでヒロが美嘉にプロポーズする場面や、ヒロのため美嘉が神社でお参りする場面も撮影されました。

劇中何度も出て来る、美嘉とヒロの花壇のロケ地なので、鹿沼が選ばれたのには、何か深い理由があるはずです。鹿沼は、1945年7月12日に空襲を受けましたが、特攻関連施設や目立った戦争遺構はありません。

そこで『恋空』のストーリーに戻ると、千手山公園が使われた最初の場面で、ヒロはホースの水を広げて虹を作って、美嘉に見せます。虹は七色であることから、多様性、共生のシンボルとしても使われます。

また、千手山には名前の由来となった千手院があり、その本尊は千手観音です。千手観音の千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表しています。

千手観音菩薩坐像

つまり、千手山公園が選ばれたのは、小山内さんが『金八先生』で描こうとした、共生社会の実現に関係していると考えられます。

そこで調べると、東部日光線を挟んだ千手山公園の西側に、社会福祉法人希望の家が運営する鹿沼やまびこ荘があります。希望の家は、1973年に、ソニー創業者の井深大さんが設立した、障害者の自立支援を目的とした団体です。

ホームページにある、希望の家の定款には、理事として秋山ちえ子さんの名前が残っています。井深大さんは、秋山さんの紹介で、別府の太陽の家も支援して、ソニー・太陽が設立されました。

東武日光線を挟んで千手山公園の西側にある、社会福祉法人希望の家・やまびこ荘

社会福祉法人希望の家ホームページ

社会福祉法人 希望の家のYoutube動画

希望の家は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする千手観音のように、鹿沼市内で、多様なサービスを提供し複数の施設を運営しています。

このことから、小山内さんが目指した、共生社会の実現を希望の家が実践していることに敬意を表して、鹿沼市が関東のメインロケ地に選ばれたと考えられます。

美嘉が運ばれた病院(牛久市)

流産した美嘉が病院の前の駐車場でヒロと会う場面は、牛久市の牛久愛和総合美容院で撮影されました。

牛久市の周辺自治体には予科練関係の戦争遺構が多数ありますが、牛久にはありません。牛久が選ばれたのは、他に理由があるはずです。

小山内さんは、『金八先生』を通じて多くの社会問題を取り上げましたが、マイノリティの人権と尊厳、そして共生が大きなテーマでした。

この点から、牛久が選ばれた理由として考えられるのは、部落差別問題を取り上げた長編小説『橋のない川』など、自由と平等を訴える作品を、多く残した作家の住井すゑさんが長年暮らし、執筆活動を行ったのが牛久市だったことです。

住井すゑさん NHK あの人に会いたいFile No. 187

住井すゑさん

牛久市住井すゑ文学館の開館式(茨城新聞動画ニュース)

住井さんと小山内さんの関係ははっきりしません。しかし、住井さんと秋山さんは、創刊期から、『暮らしの手帖』でエッセイを連載をしていています。

また、住井さんの娘の増田れい子さんは、毎日新聞論説委員を務め、マスコミ九条の会、女性『九条の会』などの護憲運動にも関わりました。小山内さんも『九条の会』で活動していたので、接点はあったでしょう。

『暮らしの手帖』を創刊し、編集長も務めた大橋鎭子さんは、平成6年(1994)に東京都文化賞を受賞しました。

それを記念して開かれた「鎭子さんと『暮しの手帖』を励ます会」の幹事を、秋山さん、増田さん、それにシャンソン歌手の石井好子さんが努めた時の写真が、『暮らしの手帖』HPに掲載されています。秋山さんと増田さんには交流があったのです。

小山内さんのエッセイ集『「赤い靴」の女たち』によると、小山内さんと石井さんは、秋山さんの紹介で知り合っています。秋山さんを通じて、増田さんとも知り合いだった可能性が高いと思われます。

小山内さんは「入試十日前心得」で、金八に「文化は積み重ねである」と語らせました。小山内さんが社会問題を取り扱う前に、秋山さんの活動があり、さらにその前に住井さんの活動があります。住井さんに敬意を表して、牛久がロケ地に選ばれたと考えられます。

その他の関東ロケ地

鹿沼と牛久以外の関東ロケ地は、戦争遺構が残っている場所で行われました。

美嘉がヒロをまっているバス停(千葉県君津市)

 バス停で美嘉がヒロを待っている場面は、千葉県富津市 東京電力新エネルギーパーク前で撮影されました。

豊津岬の県立豊津公園の中に、陸軍の射場だった砲台跡や監視所などの戦争遺跡があります。東京湾に侵入する敵を待ち構え迎撃する要塞地帯だったため、待ち合わせの場面に使われたのでしょう。

美嘉が辛い体験をする花畑(千葉県木更津市)

美嘉が辛い体験をした花畑の場面は、木更津市で撮影されました。戦時中、木更津には帝都防衛を目的として、木更津海軍航空隊がおかれました。

木更津航空隊は、南方を転戦し一度も本土に戻ることなく、激戦地を転戦する過酷な任務をかされたため、美嘉が辛い経験をする場面に使われたと考えられます。

東京湾を埋め立てて作られた木更津飛行場の跡地は、現在陸上自衛隊の木更津駐屯地になっています。駐屯地敷地内には、掩体などの戦争遺構が残っています。

木更津飛行場の航空写真(Wikiより)

陸上自衛隊木更津駐屯地ホームページ

優と美嘉が通う大学(茨木県宇都宮市)

優が大学に通っている場面のロケ地は茨木県宇都宮市作新学院大学です。

戦時中、宇都宮には宇都宮陸軍飛行学校があり、作新学院大は滑走の跡地に建っています。また、作新学院高校は、前身の高等女学校が宇都宮空襲で全焼したため、戦後陸軍兵舎を使って再建されました。平和活動が盛んな学校です。

平和になることを願って 作新学院の高校生が揮毫 宇都宮の護国神社

また、近くの栃木県農業大学校には掩体が残っています。

https://宇都宮陸軍飛行場(清原/鐺山飛行場)の掩体壕 (はるさんの戦跡巡礼記)

優と美嘉が歩いていた銀杏並木(茨城県つくば市)

ロケ地は、つくば市の産業技術総合研究所つくばセンターの模様です。戦時中、つくばには谷部海軍航空基地があり、戦争末期にには特攻出撃地となりました。その跡地は、現在、農業技術研究機構になっています。

谷部海軍航空基地と農業技術研究機構の位置関係

農業技術研究機構ではなく、産業技術総合研究所でロケが行われた理由を積極的に考えると、地質調査総合センター(旧地質調査所)があるからだと考えられます。

先の戦争は地下資源をめぐる戦争でした。また、南方の離島では水の確保のため井戸が必要でした。このため、多くの地質家が戦地にかり出され、祖国の土を二度と踏むことが出来なかった人も多かったのです。

優が美嘉にプロポーズした海岸(神奈川県三浦市)

優が美嘉にプロポーズしたのは三浦市の長浜海水浴場です。

三浦市の油壺、小網代、松輪には水上特攻艇「震洋」の基地がありました。

本土上陸の備え 三浦半島西海岸の特攻基地(はまれぽコム)

近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝ホームページより

まとめ

『恋空』関東ロケ地には大きく2種類ある事がわかりました。第1は鹿沼市と牛久市で、小山内さんが『金八先生』で訴え続けた、人間の尊厳と自由に関わる場所です。

また、女性社会活動家として小山内さんの先輩である、秋山ちえ子さんと住井すゑさんにゆかりのある場所なので「入試十日前心得」の「文化は積み重ねである」に関する場所でもあります。

第2は、航空隊員や特攻関係などの戦争遺構と国土防衛に関する戦争遺構のある場所です。

これは小山内さんが「入試十日前心得」で「フグを食べた人の話」の比喩を使って訴えた「尊い犠牲があったから今の豊かな生活がある」と、「腐ったミカンの方程式」などで訴えた、問題解決に暴力を使わないという主張へのオマージュと考えられます。

このように『恋空』の関東ロケ地にも、小山内美江子さんと『金八先生』への深い敬意が込められています。

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