2006年に起こった中村獅童さんの飲酒運転逮捕・不倫疑惑騒動が、福澤克雄周辺が仕掛けた罠だったとすると、なぜ福澤周辺はそのような事をする必要があったのでしょうか。
それを知るには、獅童さん騒動の1年前の2005年に起こった『3年B組金八先生』の脚本家、小山内美江子さんの降板事件と、2007年と2008年に放送・上映された二つの『私は貝になりたい』について知る必要があります。まず『金八先生』脚本家の降板事件から探ってみましょう。
金八先生脚本家の降板事件
1979年から2011年の32年に渡って断続的にTBSで放送された『3年B組金八先生』は学園ドラマの金字塔と呼ばれる作品です。

『金八先生』は未成年カップルの妊娠や性同一障害など、現実の中学生が直面する問題をテレビドラマの中でいち早く取り上げましたが、これは同作の原作者で長年脚本を手がけた小山内美江子さんの丁寧な取材によるものです。 残念ながら、小山内さんは2024年5月2日に逝去されました。
田原俊彦、野村義男、近藤真彦の「たのきんトリオ」が金八先生第1シリーズに出演して以来、ジャニーズ事務所の若手は金八先生の常連で、ジャニーズ事務所の躍進は金八先生のヒットと二人三脚でした。
また上戸彩さんなど、金八先生のオーディションで小山内さんに見いだされた俳優も多数いて、金八先生を通じた小山内さんの芸能界への貢献は計り知れないものです。
小山内さんは1979年の第1シリーズから長年に渡り、金八先生の脚本を担当していましたが、2004年12月17日に放送された第7シリーズ第10話を最後に、突然脚本を降板しました。この降板について、TBSは小山内さんの体調不良のためとだけ発表しました。
しかし、小山内さんは2005年3月に『25年目の卒業 さようなら私の金八先生』(講談社)を出版し、脚本降板には自分の健康問題以外の理由のあることを明らかにしました。
現在、『金八先生』シリーズをネット配信しているU-NEXTの第7シリーズの説明は「犯罪の低年齢化が進む中、中学生のドラッグ使用という衝撃的な事件が起こる。坂本金八は、どう立ち向かっていくのか?」で、第7シリーズのメインテーマは「中学生のドラッグ使用」となっています。
しかし『さようなら私の金八先生』208ページによると、小山内さんにとっての第7シリーズのテーマは「マイノリティの人権と尊厳であり、共生」でした。小山内さんにとって、犯罪の低年齢化や麻薬の問題は、このメインテーマの周辺で起こる社会現象の一つだったのです。
ところが、プロデューサーと演出家は、人気の出た少年シュウ(八乙女光さん)を麻薬中毒患者に仕立てることを主張します。これに対して小山内さんは3年B組の生徒に自らドラッグをやらせることになれば、それはもう小山内さんの「金八番組」でなくなると考え強硬に反対しました。
このような小山内さんとTBSスタッフは路線対立していましたが、第7シリーズが折り返しに達した時点で、小山内さんの降板がTBSから発表されました。自身の降板について小山内さんは『さようなら私の金八先生』208ページで「なぜか、作家交代に際して、引き継ぎの一切が考慮されなかった」と述べてます。これは、小山内さんの脚本降板が路線対立を原因としたTBSによる更迭であった事を示しています。
小山内さんは実名を明らかにしていませんが、小山内さんと路線対立したプロデューサーと演出家は、金八先生に第1シリーズから関わったプロデューサーの柳井満氏と、第7シリーズの監督だった福澤克雄だと考えられます。
柳井満氏は、小山内さんが脚本担当を降板した後も、2011年放送の完全最終スペシャル版まで、金八先生に関わり続けました。一方、福澤は第5シリーズから第7シリーズまで金八先生の監督を務めていましたが、小山内さんの降板事件後に制作された第8シリーズ以降、制作に関わっていません。この事から、小山内さんの降板を画策した首謀者は福澤だったと考えられます。
『カネ恋』の小山内さんへの嫌がらせ
一連の事件に小山内さんの金八先生脚本家降板が関わっている事を示しているのが、『カネ恋』のアンティークショップの場面です。アンティークショップの中央のテーブルの上に、赤茶けたどくろがあります。
小山内さんは、内戦によって疲弊したカンボジアの復興を支援するために、学校を作る活動を1993年から長年続けてきました。
JHP・学校をつくる会 JHPは、JAPAN TEAM OF YOUNG HUMAN POWERの略。カンボジア、ネパールを中心に、「学校」や「教 www.jhp.or.jp
カンボジア内戦では多くの人達がポルポト派によって虐殺され埋められました。赤茶けたどくろは、虐殺され埋められたカンボジアの人達の遺骨を表していると考えられます。
そして、このアンティークショップの店主を演じているのは、ソラミミストとしても知られるイラストレーターの安齋肇さんです。
安齋さんの叔父で放射線物理学者の安斎育郎立命館大学名誉教授は、立命館大学国際平和ミュージアムの名誉館長でもあり平和運動家として著名です。
肇さんも育郎さんの福島での調査活動を支援し、しりあがり寿さんを加えた3人で「安齋肇、しりあがり寿、安齋育郎 三人展」を2018年に開くなどしています。
小山内さんも平和運動やボランティア活動に熱心で、小山内さんと安斎育郎さんは親しい関係と考えられ、2013年10月19日発行の「なくせ! 原発安心して住み続けられる福島を! 11・2ふくしま大集会」実行委員会ニュース5号に、二人はメッセージを寄せています。
つまりこの場面で、小山内さんと親しい安齋育郎さんの甥の安斎肇さんが店主の店の1番目立つ場所に、カンボジアを連想させる赤茶けたどくろが置いたのは、小山内さんへの嫌がらせと考えられます。
これは誰か小山内さんを恨む人間の仕業ですが、TBSに多大な貢献をした小山内さんを恨む人物が、TBS内部にいるとすれば、それは小山内さんが自分の金八先生脚本家降板の内幕を公表したために、その後金八先生に関わる事ができなくなった福澤克雄ぐらいだと考えられます。
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