- タイトルの秘密
- 役名の秘密
- 『ロマンス編』の秘密
- 『プリンセス編』の秘密(準備中)
- 『英雄編』の秘密(準備中)
- 猪木さん、倍賞さんと小山内さん
ダー子のモデルであるアントニオ猪木さんは闘魂外交を通じて、世界平和に貢献しました。これは猪木さんの妻だった倍賞美津子さんが出演していた『金八先生』第1シリーズ「入試十日前心得」で小山内さんが主張した「尊い犠牲に感謝して、日本をより文化的な国にして、世界平和に貢献する」の具現化です。
先行小山内美江子オマージュ映画『恋空』のロケ地は、小山内さんが主張した、尊い犠牲への感謝や共生社会の実現に関係のある場所でした。アントニオ猪木さんの『闘魂外交』へのオマージュである、劇場版『コンフィデンスマンJP』のロケ地は、きっと何か世界平和に関係する場所だと考えられます。
第1作『ロマンス編』
劇場版コンフィデンスマンJP第1作ロマンス編は、ダー子とジェシーのニューヨークでの生活の場面から始まり、東京を経て香港で物語が進行します。
ロマンス編ではハリウッド映画である『ゴースト』や『タイタニック』へのオマージュと考えられる場面や、香港映画の『燃えよドラゴン』『男達の挽歌』へのオマージュと考えられる場面があります。これらから、ロマンス編はハリウッドや香港で映画に関わった誰かへのオマージュが隠れていると考えられます。
ニューヨーク、日本、香港、ハリウッドと映画そしてロマンスに関係のある人物で、猪木さんと関わりがあるのは、戦時中に李香蘭として多くの国策映画に出演し、戦後は政治家としても活躍した山口淑子さんです。

山口さんの世界平和への貢献
山口さんは戦後アメリカに渡り、李香蘭の中国読みリ・シャンランを連想させるシャーリー・ヤマグチ(Shirley Yamaguchi)の名前で、ハリウッド映画にも出演しました。その頃、ニューヨークで彫刻家のイサム・ノグチさんと出会い1951年に結婚しました。
そして二人は鎌倉に居を構えますが、1956年に離婚しました。また、1955年から1958年にかけて、山口さんは、当時イギリス領だった香港で李香蘭として復活し、「金瓶梅」「白夫人の妖恋」「神秘美人」「一夜風流」の4本の映画に出演しています。
近年の研究では、香港で撮影した映画によって戦後、東南アジアで李香蘭がブームになっていたことが、確認されています。これが、香港が『ロマンス編」のメインロケ地の理由でしょう。
川崎 賢子著『もう一人の彼女 李香蘭/山口淑子/シャーリー・ヤマグチ』(Amazon)
香港で李香蘭が復活した時期は、日本が国際社会に復帰しつつある時期でした。1952年にサンフランシスコ平和条約が発効し、1953年に朝鮮戦争が終結、1954年に日本とミャンマーの国交が回復、1955年にはラオスとの国交が回復、1956年に日ソ共同宣言を締結します。
1957年岸内閣が「外交青書」で示した「日本外交の三原則」の1つとして、 アジアの一員としての立場の堅持を掲げました。そして、1958年日本とインドネシアは日・インドネシア平和条約に署名し、国交が樹立しました。この年、山口さんは、外交官の大鷹さんと結婚し、芸能界から一旦退きました。李香蘭の役割は終わったのです。
山口さんが次に芸能界に復活したのは1969年4月、フジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会としてでした。山口さんが復活する直前の1969年3月2日に極東で中ソ国境で紛争が勃発し、中国はアメリカとの接近を模索し始めていました。
前年の1968年に1971年の世界卓球選手権が名古屋で開催されることが決まっていました。荻村伊智朗さんは、この大会に当時文化大革命で世界から孤立していた中国を参加させようと、旧知の仲である周恩来に対する働きかけを始めていました。
山口さんがこの時期に司会として復活したのは、親中的雰囲気を日本に演出し、荻村さんの働きかけを側方支援する目的があったと考えられます。詳細は明らかになっていませんが、荻村さんや山口さんの動きは、日本政府とアメリカ政府もからんだ、プロジェクトだったのでしょう。
1971年の名古屋大会をきっかけに、米中は急接近し、1972年2月にニクソン大統領が中国を訪問します。日本も名古屋大会をきっかけに、中国との接近を加速していて、同じ1972年9月に田中首相が北京を訪問して、日中共同声明を発表し、国交が正常化しました。山口さんは現地から生中継して、涙を流しました。
ラン・リウの意味
『ロマンス編』の中でラン・リウは12歳の時の火事で火傷を負い、心を閉ざします。そしてその頃、福岡から香港へ引っ越し、経営者としてのスパルタ教育を父から受け、氷姫となります。
これは、山口さんはが12歳の時、苦力が憲兵に拷問され、地面に血だまりができる様子を目撃して、心に傷を負いました。そして、その後、奉天へ移って中国語やロシア語の猛特訓を受けて、李香蘭になっていきました。ラン・リウが追う心と体の傷はこれらの山口さんの経験から着想を得たと考えられます。
山口さんは李香蘭時代の自分について書かれた原稿についても、厳しくチェックして、戦時中の李香蘭としての文化工作の実態や、プライベートについては、冷たく心を閉ざし、詳細を話していません。ラン・リウの氷姫という表現は、この事の比喩だと考えられます。
これは、山口さんに限らず、大陸で文化工作に関わった学者など文化人には、帰国後もいっさい当時の事を話さなかった人がいます。山口淑子さん没後、国やアメリカの資料から、李香蘭/山口淑子研究が進んでいます。
ラン・リウの役名の意味ですが、ランは「李香蘭」の「蘭」から取られていると考えられます。また「リウ」は、李香蘭時代の山口さんの恋人と言われ、1940年に暗殺された劉吶鷗(本名:劉燦波)の姓「劉」から取られていると考えられます。


猪木さんとの関係
山口さんは1974年に参議院に全国区から当選して、1992年に政治活動を引退するまで、本名の大鷹淑子の名前で参議院議員を務め、主に外交分野で活躍しました。議員活動の晩年が、1989年に初当選した猪木さんと重なります。
2人が関係したのが、1990年のイラク日本人人質事件です。人質家族で作る「あやめの会」の長谷川悠紀子会長は、人質解放に当たって、猪木さんと山口淑子さんが、頼もしい人間だったと後年話しています。
当時二人とも、参議院外務委員会に属していましたが、平成二年(1990)9月18日猪木さんは、委員を辞任します。おそらく、人質救出の活動のためだったと考えられます。
一方、その翌日9月19日の外務委員会で、山口(大鷹)淑子さんは、人質の安全確保の観点から、厳しい質問を政府に対してしています。
平成2年(1990) 9月19日第118回国会 参議院 外務委員会 閉会後第1号
猪木さんがモハメッド・アリなどの協力を得て、平和の祭典を開催して、日本人人質のきっかけを作ったことは、よく知られています。一方、山口さんは、クウェート人と結婚していた日本人女性と子供が先行脱出して、日本に帰国した際、その航空運賃が、個人に請求されました。この事を聞いたあやめの会の悠紀子会長が、山口さんに相談したところ、詳細はわかりませんが、個人は支払わずに済むよう対処してくれたそうです。
これらの事もあるので、猪木さんの1990年の平和の祭典と結びつく、山口淑子さんをイメージしたラン・リウをキーパーソンとして、山口さんと関係の香港をメインロケ地としたと考えられます。
『ロマンス編』はキーパーソンであるラン・リウのモデル、山口淑子さんへのオマージュと考えられます。さらにダー子のモデルであり、1990年のイラク日本人人質事件で、山口さんと一緒に、人質家族に誠実に向き合った、アントニオ猪木さんへのオマージュと言えます。
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