- 2つの『私は貝になりたい』
- 『日本沈没』と『ドラゴン桜2』(準備中)
- TBSは最後に何を求めたのか
『涙そうそう』監督降板で傷ついた福澤の名誉を回復する機会は意外に早く訪れました。2006年1月の『涙そうそう』監督降板から2年後の2008年2月、映画『私は貝になりたい』の監督を福澤が務めることが発表されたのです。
しかし、同じ頃、2007年に実話版『私は貝になりたい』が日テレで放送され、中村獅童さんが主演を務めました。この2つの『私は貝になりたい』の存在が、獅童さん騒動の直接の引き金だったと考えられます。
リメイク劇場版『私は貝になりたい
BC級戦犯の悲劇を描いた『私は貝になりたい』は、オリジナルドラマ版が1958年にTBSの前身であるラジオ東京テレビで放送されました。フランキー堺さん主演の同作は大きな反響を呼び、ドラマのTBSの礎と呼ばれています。

2008年のリバイバル劇場版の制作には、JNN加盟の全28局が初めて参加しました。このようにTBSにとって重要な意味を持つリバイバル劇場版『私は貝になりたい』の監督に抜擢された事によって、福澤は、劇場版『涙そうそう』監督降板で失った地位を回復する機会を得たと言えます。
ドラマのTBSの礎『私は貝になりたい』のリメイク劇場版は絶対ヒットさせなければなりません。そこで、豪華出演陣がそろえられました。まず、当時人気絶頂の中居正広さんが主人公の豊松を演じました。
そしてヒロインである豊松の妻房江を仲間由紀恵さんが演じました。仲間さんは2000年放送のテレ朝『TRICK』でブレイクしました。また、ヤンクミ役の日テレ『ごくせん』は、2005年放送の第2シリーズ最終回が最高視聴率32.5%を記録し人気絶頂となり、その年の紅白歌合戦で紅組司会を務めました。
2006年には大河ドラマ『功名が辻』で主役を演じ、紅白歌合戦の紅組司会者を再び務めました。この年の白組司会者は、中居さんでした。
仲間さんは、福澤が監督した反戦ドラマの『さとうきび畑の唄』(2003)にも出演していましたが、当時は『ごくせん』のヤンクミのイメージが定着していました。特に2008年は、11月の『私は貝になりたい』公開に先だって、春馬さんも生徒役で出演した『ごくせん』第3シリーズが4月19日から6月28日にかけて放送され、社会現象化していました。
このため『私は貝になりたい』で房江を演じる仲間さんを観ても、ヤンクミが房江を演じているような気がして、観客はなかなか作品に没入することができませんでした。
それに仲間さんの出世作である『ごくせん』と福澤の間には、小山内さんをめぐって因縁がありました。小山内さんは『さようなら私の金八先生』の中で、中学生を主人公とする金八先生で取り上げる事のできる社会問題の限界に触れ、2005年当時第2シリーズが放送されていた『ごくせん』をうらやましいと語っています。
仲間さんは、福澤が劇場版『涙そうそう』監督を降板するきっかけとなった小山内さんが評価した作品で女優としてブレイクしたのです。その仲間さんを、福澤が喜んで自分の初監督作品のヒロインに起用したとは考えられません。
だれか別の女優に房江役を打診したものの断られたため、やむを得ず仲間さんに出演を依頼したのではないかと考えられます。演技力と話題性を考慮すると、その第1候補は『白い影』で中居さんの恋人役を演じた竹内結子さんでしょう。
リメイク劇場版『私は貝になりたい』の興行成績は28億円でした。しかし、この数字は作品の実力だけで挙げた数字ではなく、国営放送であるNHKの協力を得てなんとか挙げた数字です。
『私は貝になりたい』の公開期間中の2008年12月31日に放送されたNHK紅白歌合戦の司会を、中居さんと仲間さんはそろって務めました。11月24日に行われた司会発表記者会見で、中居さんは『私は貝になりたい』の宣伝と受け止められる発言をしています。
また、この紅白合戦の前半の最後で、中居さんと仲間さんは平和へのメッセージを読み上げ、秋川雅史さんの『千の風になって』に繋げています。この紅白歌合戦の後、『私は貝になりたい』の観客数が急増する現象があり、「紅白効果」だと2009年1月6日付サンケイスポーツが報じています。
このようにNHKの協力を得て挙げた『私は貝になりたい』の28億円という興行収入ですが、竹内さんと獅童さんが共演した劇場版『いま、会いにゆきます』の48億円に大きく劣り、福澤が降板した劇場版『涙そうそう』の31億円にも劣る数字です。さらに『私は貝になりたい』公開の翌年、2009年に公開された『ごくせんTHE MOVIE』34.8億円にもかないませんでした。
劇場版『涙そうそう』の主役は当時若手の妻夫木聡さんと長澤まさみさんです。また『ごくせんTHE MOVIE』の主要キャストは三浦春馬さんをはじめとする若手俳優です。豪華キャストをそろえた『わたしは貝になりたい』と比較すると、低予算映画と言えるでしょう。
リメイク劇場版『私は貝になりたい』によって、福澤は視聴者が無料で観るテレビドラマで視聴率を稼げても、観客が金を払って見る映画では数字を残せないということがはっきりしました。その結果『私は貝になりたい』の公開以降、2018年1月公開の『祈りの幕が降りる時』までの10年間、福澤が映画監督を務めることはありませんでした。
しかし、その『祈りの幕が降りる時』の興行収入は15.9億円で、春馬さん、竹内さんそして長澤さんが出演した2019年公開『コンフィデンスマンJPロマンス編』の29,7億円に遠く及びませんでした。
実話版『私は貝になりたい』
一連の事件が起こった頃は、2005年が1945年の日本のポツダム宣言受諾から60年の区切りの年で、その前後に戦争を描いた映画やドラマが多数制作されました。不倫疑惑の当事者であった獅童さんも、その頃多数の戦争作品に出演しています。
映画では2005年の『男たちの大和/YAMATO』と、2006年の『硫黄島からの手紙』という、二つの戦争大作に出演しています。またドラマでは、2004年のテレ東『赤い月』、2005年のフジTV『実録・小野田少尉 遅すぎた帰還』、2007年のテレ東『李香蘭』、2008年の日テレ『霧の火 樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち』など、各局の作品に出演しており、戦争作品に欠かせない存在でした。
それら獅童さんが出演した戦争作品の中で注目されるのは、2007年8月24日に日テレで放送された『真実の手記 BC級戦犯 加藤哲太郎「私は貝になりたい」』です。
リメイク劇場版『私は貝になりたい』の映画ポスターやDVDに首吊りの輪は描かれていませんが、実話版『私は貝になりたい』では首吊りの輪が描かれています。
『カネ恋』では首に両手をかける演出があったり、絞首刑の首輪を連想される小道具が画面に映り込む場面があったりします。これは実話版『私は貝になりたい』が事件に関係することを示していると考えられます。
獅童さんが主演した実話版『私は貝になりたい』と、福澤克雄がリバイバル劇場版を監督したフィクション版『私は貝になりたい』はタイトルは同じです。しかし二つの作品は、内容が大きく異なっています。
福澤がリバイバル劇場版を監督したTBS版『私は貝になりたい』は、BC級戦犯として投獄された加藤哲太郎元陸軍中尉の手記『狂える戦犯死刑囚』の遺書部分を元に、脚本家の橋本忍が創作したフィクションです。
一方、獅童さんが主演した日テレの『私は貝になりたい』は、若干のフィクションは含まれていますが、「狂える戦犯死刑囚」などの巣鴨獄中手記や家族への手紙をまとめた加藤哲太郎さんの著作『「私は貝になりたい―あるBC級戦犯の叫び―」(編:加藤不二子、春秋社)』を元にした実話版です。
1958年に放送された岡本愛彦監督のオリジナルドラマ版『私は貝になりたい』では、冒頭に極東軍事裁判の映像が流されています。この映像には、同時通訳までついてきちんとした弁護士を受けられたA級戦犯と、まともな通訳もつけられず満足な弁護を受けられなかったBC級戦犯の待遇の差への批判が込められていました。
しかし、脚本担当の橋本忍が監督した1959年の映画版以降、A級戦犯との待遇差への批判はなくなり、上官の命令に従っただけのBC級戦犯が処刑されるまでの理不尽さだけを描いただけの作品になってしまいました。
一方、実話版『私は貝になりたい』では、終戦と共に捕虜収容所担当の陸軍士官からBC戦犯犯となった加藤哲太郎(中村獅童)は逃亡をすることを決心します。そして、逃亡戦犯となった加藤さんと家族は、周囲から冷たい仕打ちを受けます。
終戦から3年後、哲太郎はついに逮捕され、死刑判決を言い渡されます。しかし、哲太郎の家族は必死に助命嘆願運動を行い、ついに妹の不二子はダグラス・マッカーサーへの直訴に及びます。そして、マッカーサーの判断によって、異例の再審が認められ哲太郎の刑は減軽されて死刑を免れます。
このように、実話版『私は貝になりたい』では、オリジナルドラマ版と同様に、日本社会のBC級戦犯への冷たい仕打ちが描かれています。また、オリジナルドラマ版主演のフランキー堺さんと実話版主演の中村獅童さんは、共に四角い風貌で、雰囲気が似ています。
つまり、獅童さんが主演した実話版『私は貝になりたい』の方が、より強く岡本愛彦監督のオリジナルドラマ版をオマージュした作品と言えます。
獅童さん騒動の意味
2006年当時の状況をまとめると、まず福澤克雄は、自らが関わった小山内美江子さんの金八先生脚本からの更迭を、小山内さんによって公表された事と、それに続く劇場版『涙そうそう』監督からの降板によって、演出家としての地位を失った状況にありました。そして失った地位を回復するためには、2008年公開のリバイバル劇場版『わたしは貝になりたい』を成功させる必要がありました。
またTBSとしても、ドラマのTBSの祖と呼ばれる作品のタイトル『わたしは貝になりたい』のイメージが、同社のフィクション版から2007年放送の日テレ実話版に奪われることを防ぐ必要がありました。
もしTBSや福澤克雄周辺が、中村獅童さんの一連の騒動を仕掛けたという推理が正しいとすれば、それには『わたしは貝になりたい』に関係して二つの目的があったと考えられます。
まず第1の目的は、獅童さんの評判を落として降板させることによって、日テレの実話版『私は貝になりたい』を失敗に終わらせることです。2006年当時、いわゆる二枚目俳優ではない獅童さんは、戦争映画に欠かせない存在でした。また、素朴な雰囲気と四角い顔の獅童さんは、1958年のオリジナルドラマ版と1959年の劇場版の『私は貝になりたい』で主演したフランキー堺さんに、雰囲気が似ています。
そして第2の目的は『私は貝になりたい』のヒロインである豊松の妻、房江役に竹内さんを引っ張り出す事だったと考えられます。公開されたリメイク劇場版『私は貝になりたい』のヒロインは仲間由紀恵さんが演じました。
しかし、仲間さんは小山内さんが『さようなら私の金八先生』の中で「うらやましい」と述べた『ごくせん』が代表作です。小山内さんと対立した福澤が喜んでヒロインに起用するはずがありません
豊松の絞首刑という悲劇的結末を迎えるフィクション版『私は貝になりたい』のヒロインは、元気なヤンクミのイメージの仲間さんより、同じく悲劇的な結末を迎える『白い影』で、中井さんの恋人役を演じた竹内結子さんがふさわしかったと考えられます。
TBSから竹内さんに房江役のオファーがあったのではないでしょうか。しかし、竹内さんがオファーを受けなかったため、一連のバッシングを仕掛けて、止めて欲しければ、オファーを受けろと脅すことが、獅童さん騒動の目的だったと考えられます。
劇場版『黄泉がえり』ロケの縁で、竹内さんは熊本地震からの復興支援団体「ロハス南阿蘇」に寄付を続けるなど、小山内さんと同様にボランティアに熱心でした。また『黄泉がえり』で共演した長澤まさみさんは劇場版『涙そうそう』の主役でした。
竹内さんは福澤克雄が劇場版『涙そうそう』の監督を降板した経緯も知っていたでしょう。そのため、竹内さんは作品の監督にふさわしくない福澤からの出演オファーを受けなかったと考えられます。
竹内さんがTBSからの出演要求を厳と受け入れなかった結果、週刊誌やワイドショーは、竹内さん獅童さん夫妻のゴシップを煽り続けるデマ・マッチポンプを続けました。それでも竹内さんはTBS作品に出演することを拒みつづけ、ついに獅童さんと離婚することを選ばれたのではないでしょうか?
「6. 1 竹内結子さんが亡くなった日が教えること(2):2つの『私は貝になりたい』」への1件のフィードバック