2005年6月に福澤克雄監督での制作が発表された劇場版『涙そうそう』は、クランクイン前の9月に突然制作が延期され、2006年4月に福澤に変わって土井裕泰氏の監督で制作されることが発表されました。
この劇場版『涙そうそう』監督交代事件と、小山内さんの『金八先生』脚本家降板事件の関係が、獅童さん騒動と竹内さんの死を繋ぐ鍵だと考えられます。
福澤克雄の劇場版『涙そうそう』監督降板
小山内さんが『さようなら私の金八先生』を出版した2005年3月から3ヶ月後の2005年6月26日、TBSは劇場版『涙そうそう』の監督を、福澤克雄が務めることを発表しました。
この映画はTBS開局50周年プロジェクト『涙そうそう』の集大成として製作されたものです。
劇場版『涙そうそう』は福澤の初監督作品となる予定でした。両親が離婚している福澤は、子供の頃両親と映画を見に行くことが幸せな時間で、映画監督になるためTBSに入社したと述べています。福澤にとって劇場版『涙そうそう』を監督することは、夢の実現です。
しかし劇場版『涙そうそう』は、2005年9月のクランクインを前に制作延期が発表されしまいます。表向きの理由は福澤の体調不良が原因とされていますが、福澤による小山内さんの更迭が関係していると考えられます。
森山良子さん
TBS開局50周年プロジェクトのタイトルでもある『涙そうそう』は、夏川ミリさんが歌ってヒットした曲のタイトルです。
『涙そうそう』の歌詞は歌手の森山良子さんが早世したお兄さんのへの思いを込めたものです。2006年に公開された劇場版『涙そうそう』では妻夫木聡さんと長澤まさみさんが血の繋がらない兄妹を演じており、やはり森山さんの歌詞の世界をモチーフにした作品です。『涙そうそう』プロジェクトには森山良子さんが大きく関わっていると考えられます。
『涙そうそう』は、森山さんが2001年12月にCDシングルとして発売した『さとうきび畑』のカップリング曲です。『さとうきび畑』は、森山さんが1969年に録音した、沖縄戦で父親を亡くした少女の視点から、戦争の無慈悲を歌った曲です。森山さんは長年この曲を封印していましたが、1991年の湾岸戦争を機会に、再び向き合うようになり、大切に歌い続けています。
『さとうきび畑』は、TBSが制作した沖縄戦を描いたドラマ『さとうきび畑の唄』(2003)の主題歌に使われ、森山さん本人も特別出演しています。そして、この作品を監督したのが福澤克雄でした。森山さんは福澤がどういう人間か、以前から知っていたと考えられます。
また、森山さんは障害者支援のチャリティコンサートを開くなどボランティア活動にも熱心です。一方、小山内美江子さんも熱心な反戦活動家で、カンボジアに学校を建設するなどボランティア活動にも熱心です。
そして、小山内さんの同意を得て製作された金八先生本編の最終第8シリーズで、森山さんの息子の森山直太朗さんの『生きとし生ける物へ』が挿入歌として使われています。
2016年6月6日に、長年にわたって日本の反戦・ボランティア活動のリーダーだった秋山ちえ子さんのお別れの会が開かれた際、小山内さんと森山さんは、二人はそろって出席しています。
森山さんは、映画監督の黒澤明さんの息子の黒澤久雄さんからレコードを手渡されたことをきっかけに、高校時代にフォークグループを結成しました。1969年にレコードデビューしたときは黒澤プロダクションに所属するなど、黒澤監督の家族ぐるみのつきあいでした。
一方、小山内さんは2003年に出版した『「赤い靴」の女たち』で、黒澤監督の娘で日本の映画衣裳デザイナーの黒澤和子さんを紹介しています。同書によると、小山内さんと黒澤さんは、秋山ちえ子さんを通じて知り合っていて、黒澤さんのブログを見ると、黒澤さんも反戦・ボランティア意識の高い方です。黒澤家を通じても、小山内さんと森山さんには交流があったと考えられます。
前述の通り劇場版『涙そうそう』は森山良子さんが作詞した、同名の曲をモチーフとした作品です。ところが、その映画の監督である福澤克雄は視聴率を稼ぐために、金八先生第7シリーズのテーマを小山内さんが考えた「マイノリティの人権と尊厳であり、共生」から「麻薬中毒の中学生」にしようと企み、小山内さんを脚本担当から更迭しました。その福澤が劇場版『涙そうそう』の監督を務めることを、森山さんが快諾したとは思えません。
秋山ちえ子さん
小山内さん、森山さんと親しかった秋山ちえ子さんは、女性ジャーナリストのはしりです。1957年にTBSの前身、ラジオ東京ラジオで『昼の話題』のパーソナリティを始め、1970年に『秋山ちえ子の談話室』と改称されたラジオ番組のパーソナリティを2002年まで45年間務められました。そして番組終了後は続編である『秋山ちえ子の日曜談話室』のパーソナリティを2005年まで続けられました。
秋山さんは、毎年8月15日に、戦争末期の空襲が続く中、市民の安全のため動物たちを殺さざるを得なかった上野動物園の飼育員を描いた『かわいそうな像』を朗読されてきました。
https://www.sonymusic.co.jp/artist/chiekoakiyama/discography/MHCL-2461

また大分県別府市にある障害者施設「太陽の家」の応援団長を自認されるなど、長年にわたって日本の平和・弱者救済運動のリーダーでした。
このように平和運動や弱者救済活動に熱心な秋山さんが、福澤による『金八先生』乗っ取りを快く思うわけがありません。
Wikiによれば『秋山ちえ子の談話室』終了後の『秋山ちえ子の日曜談話室』はTBSによる強い慰留でした。その終了の10月2日は、9月の福澤の体調不良を口実にした『涙そうそう』の制作延期と非常に接近しています。
また、『秋山ちえ子の日曜談話室』終了後は、8月15日に『かわいそうなぞう』を朗読する以外、TBSラジオには出演せず、NHK第一放送の、朝の番組に不定期に出演されていました。TBSラジオへの出演を避けていられたようです。
福澤が『涙そうそう』の監督を福澤が務めようとした事が『秋山ちえ子の日曜談話室』の終了に関わっているようです。
2016年に亡くなった秋山さんのお別れの会には、当時の井上弘TBSホールディングス名誉会長も参加しています。
秋山さんの影響を受けたTBSの重鎮たちも、小山内さんを金八先生の脚本担当から更迭した福澤が、TBS開局50周年記念作である『涙そうそう』の監督を務めることを快く思わなかったと考えられます。
この様に、反戦・ボランティア活動に熱心な小山内さんと森山良子さん、そして秋山ちえ子さんの関係を考慮すると、劇場版『涙そうそう』監督からの降板は、福澤の体調不良が原因ではなく、福澤が小山内さんを金八先生の脚本担当から更迭し、番組を乗っ取ろうとしたことが原因だと考えられます。
福澤降板後の劇場版『涙そうそう』
製作中止も危ぶまれた劇場版『涙そうそう』は、福澤が監督を降板し制作されることが、2006年4月4日に発表されました。福澤に代わって監督を務めたのは、竹内さんと獅童さんのなれそめとなった、劇場版『いま、会いに行きます』監督の土井裕泰さんです。
土井さんは、福澤と同じ1964年生まれですが、福澤より早く劇場版2003年『いま、会いに行きます』でメジャー映画の監督を務め、興行収入48億円の大ヒットを飛ばしていました。急遽監督することになった劇場版『涙そうそう』でも31億円の興行収入を上げました。
劇場版『涙そうそう』の監督を降板したことによって、映画監督としての実績で、福澤は同じ年齢の土井氏に大きく水をあけられてしまったのです。
木村ひさし2020年7月18日インスタの意味
福澤の劇場版『涙そうそう』監督降板が、春馬さんや竹内さんが亡くなった遠因であることを暗示するのが、春馬さん急逝の2020年7月18日の木村インスタ「やり切ったときの気持ちはくせになる」です。
ネットで物議をかもしたこの言葉は、土井裕泰さんが出身地の広島市で2017年に開かれた「ひろし学び部」で語った以下の言葉が元になっていると考えられます。
たとえ視聴率が取れなくても制作に関わるすべての人間が「やり切った」「またやりたい」と思えれば、必ず次に繋がります。大切なのは、最後までやりきることです。
『カネ恋』の制作発表当時、TBSホームページの演出担当蘭に土井氏の名前がありましたが、一話の監督も行わず、いつの間にか名前がホームページから消えていました。
これは福澤の劇場版『涙そうそう』監督降板をなぞったと考えられ、福澤の劇場版『涙そうそう』監督降板が、事件の遠因であることを示していると考えられます。土井さんに「お前が代役の監督を引き受けなかったら、こんな事にならなかった」と言いたいのかも知れません。
劇場版『涙そうそう』では降板した福澤に変わって、土井氏が監督を務めました。この裏返しとして『カネ恋』では、土井氏が監督を降板し、福澤が監督を務めるべきです。
2020年7月11日にアップされた『金八先生』第6シリーズ撮影現場を暗示した、木村のインスタは、『カネ恋』の撮影現場に福澤がいたことを暗示します。春馬さんの役名は慶大出身の福澤を連想させる慶太でした。
『カネ恋』第1話では、慶太の父富彦(草刈正雄さん)が、慶太にお菓子を力任せに投げつける場面があります。福澤の特長は、現実の暴力をリアルな演技と勘違いした粗暴な演出です。第1話のこの場面の監督は、公表されている平野俊一ではなく、福澤だったと考えられます。
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